私は小、中学生の時は別の県に住んでいたので 船橋の郷土史についてはさほど詳しくありません。
でも知ってることをまとめてみることにしました。
東京湾に面するところは言わずとしれた漁師町でした。特産の海苔の店が今もあります。
また江戸時代に江戸市中の庶民は、船橋よりもずっと東、成田市にある大きなお寺、成田山にしばしば詣でたものですが、その宿場町としても栄えたところでした。
成田街道という古くからの道が東西に通じており、今では狭く感じられますが、幹線道路の一つです。
あとかつて沿岸部に塩田があって、その後が大きな遊興施設になったりしました。
市の東寄りの内陸部は江戸時代には、近隣の松戸市や鎌ケ谷市にも渡るとても広い馬の牧がありました。そこに明治になってから 陸軍の駐屯地が置かれました。
司馬遼太郎の小説「坂の上の雲」の主人公の一人、日露戦争の時に満州で騎兵隊長として戦った秋山好古の国内の勤め先です。(NHKドラマでは阿部寛が演じました)
今も第一空挺団を備えた陸上自衛隊の駐屯地があり、時折ヘリコプターから落下 傘が空中に降下するところが見られますよ。
あと馬にまつわる歴史が古いので、船橋は日本の馬のメッカとも言われてるそうです。
そのためか市の中西部には、中山競馬場という、毎年クリスマスの頃に重賞レースの有馬記念が開催される中央競馬場があり、もう一つ沿岸部に地方競馬場もあります。
また市の中部に戦前の海軍電信基地があって、太平洋戦争の始まり、真珠湾攻撃を命じた「ニイタカヤマノボレ1208」という暗号文がそこから発信されました。現在は公園になっています。
うーん。このくらいですかね。
現在はもっぱら東京のベッドタウンとしていろんな地方(や国)から来た人がごちゃごちゃ集まって住んでいる感じです。
東京から近い割には地価が安いです。田んぼよりも畑が多く、ニンジン、小松菜、梨などが特産です。
もっとも畑や森はうんと減りました 。みんな住宅になっていくのです。
散歩する身にはあまり面白くありません。家の庭をきれいにしてる所もありますけど。
人口 は 64万を超えています。
人柄は東京や 神奈川の人に比べ 純朴で陽気なのが特徴だった気がしますが、最近は都会的になっちゃって、そうでもなくなったかな。
ついでに
電車に乗って
本町の船橋発祥の地近くにある船橋大神宮にお参り。もともとは意富比神社(おおひじんじゃ)と言います。天照大御神が主祭神。創建は景行天皇40年、日本武尊東征の頃とか。古いです。
朝なので砂利道を掃き清めている人がいたり、お参りする人も心ゆくまでゆっくりと頭を下げています。
クロアゲハが舞い、神殿から太鼓の音が聞こえます。
とても大きい神社ではありませんが、土地の人の大切な心のよすがになっています。
また、同じ敷地内の灯明台が知られています。(わかりにくいけど写真では戦没者慰霊碑の木陰の上部)
お参りが済むと、船橋漁港に通じる海老川という川に出ました。今日は水が多いなあ。満潮かな。
川沿いを下り、この河童の像のついた船橋橋を越えると
小さな漁船が
たくさん浮かんでいます。
岸にはこのような鉄の籠が置かれています。
船上に鉄カゴに取り付けた長い柄が見えます。10メートルはあるような。
近くに居た日焼けした作業着姿の男の人にこの籠のことを尋ねました。
この籠を沖合で沈めて、ハマグリに似たあの大きな貝を採るのだそうです。
ちなみにホンビノス貝とは外来種なのですが、東京湾でたくさん増えてしまって、20年ほど前「大アサリ」「白ハマグリ」などと呼ばれて食べられるようになったのです。近年市が特産物として力を入れています。
変わった名前の由来は、ボッティチェリの名画『ヴィーナスの誕生』に描かれた大きな貝がまさしくこの貝だそうで、ヴィーナスからビノスという言葉を取り、正式名称は本美之須だそうです。ちょっと苦しいよね(^_^;)
これは世界で一つのホンビノス貝自販機です。
おしまいに海老川袂にある乙姫弁天様の小像。美貌です。それでは今日の長いお付き合いをありがとうございました。
何でも近々、テレビの『アド街ック天国』で船橋特集をやるそうで、あちこちで取材陣の影が。。私は寝ちゃうので見られるかどうか分からないけれど、よかったら視聴してくださいな。
今日のお気に入り写真。船橋大神宮内陣より砂利に漏れる日射し。
潮の香のビルの風なり秋の雲
(この川も海老川に通じています)