注意:以下の記事は重篤な障害を持つ者によって記されたものでありその者は文責を負い得ない可能性があることを十分ご承知の上でお時間があればお楽しみください。
第一部
➀海老川暴論
そもそも高校生の時に移り住んできた当初から受け入れがたかったんです。海老川というこの名前を。川の名前には本来その土地に対する深い愛情と尊敬が感じられなくてはならないと思うのです。
それをエビです。
響きも悪ければ、元は清らかであった 川に、生臭いエビの匂いが漂ってきそうではありませんか。
先日、上流の清々しい光景を見るまでは長い間ずっと、川に海老などといういかにも投げやりな名前をつけるからこのように濁っているのだろうと すら 思っていました。
いえ決してエビが憎いわけではありません。私は好き嫌いはない方なので食べるのは大歓迎です。
ただまた繰り返しますが 川の名前としてはちょっと。と思わざるを得ないのです。
でも本を読んでいると、どうやらこの川は元は大日川と言ったらしいのです。おおひがわです。
素晴らしい名前ではありませんか。
私が思うには あの 「千と千尋の神隠し」 の琥珀川にまさるとも劣らない 美称だと思います。
それを後日、 源頼朝が鎌倉進撃で立ち寄った際に当時の住民がエビを献上したから 海老川という名前に変えてしまったという、実に浅ましい歴史があるらしいのです。
さんさんと陽光の降り注ぐ、朗らかな地である この船橋にはあるべからざる 屈折した心理を覚えます。
私決めました。
私事ではありますが、これから個人的にあの川を大日川と呼ばせていただきます。
どうも今まですっきりしなかったんですよね。海老川という名前ではその言葉を聞いた人の 心根まで曲がってしまいかねないと思うんです。
心根とは可能な限りまっすぐにしなければなりません。
でもまあ読む方が混乱してしまうといけませんので 今後、ここでの表記は大日川(のち海老川)と、することにいたしました。最大限の妥協です。どうぞご容赦くださいませ。
ところで 手元の「船橋の地名を歩く」という図書館の本には大日川(のち海老川)に関する 極めて美しい 説明文が載っていますので、川の表記だけ変えてそのまま転載させていただきます。
【大日川(のち海老川)のあらまし】
大日川(のち以下略)とは 行政上は念田橋から河口までの約2670メートルを言います。地域では 大日川といえば 滝不動の池からの流れである 北谷津川 を含めて呼んできましたし、時には飯山満川を加えることもあったようです。
河口までの間に、 長津川・ 北谷津川 ・念田川 ・高根川 ・宮前川・飯山満川・前原川などを合流させていますから、大日川 はちょうど 掌を広げたようにいくつもの谷をその源流にもち、船橋市域の約81平方キロメートルのうち、 南1/3をその 集水域としています。
このことから 2級河川(県 管理)と指定されています。
大日川は東京湾につながっていることから その中流までが 満潮の時に海水が逆流する いわゆる感潮川になっています。
かつて大日川と、これに合流する小河川はどれも 川幅数メートルの小河川でしたが、谷の頭や 台地の麓には湧水が豊富でした。
大日川 とその支流は水田の用排水路であり、 谷頭 や台地麓から湧く水は飲料水であり、野菜を洗う 大事な 生活用水でした。絶え間ない 水の湧出は信仰の対象ともなり、水神 や弁天が祀られました。 中流では 小舟による輸送路として物産を多く 運んできたはずです。 さらに河口に近い所では漁船の船着場として、五大力船で賑わう商港の一部として、船橋の経済発展の一翼を担ってきたと言えます。
以上です。ありがとうございました。
今朝の写真です。
暑さで少し傷んでいますがアメジストセージが咲き始めました。
ほんのり色づくコムラサキ。葉っぱはこちらも傷んでいます。
朝のムクゲが開きかけ。
こちらは少し開きました。
これよりの台風の威に構へたり
第二部
②大日川(のち海老川)哀感
まあ皆さん 。私の今までの文章をいろいろと苦々しく感じられる向きもあると思われます。 けれども、私としても決して このご縁ある 川をおもしろおかしく 揶揄しながら ご紹介するつもりはないのです。
例えば遥か東京を羨望するわけではありませんが、隅田川、つまり昔の大川には色々な物語が自然と添えられてしまって、謡曲の「隅田川」 から 松尾芭蕉の数々の名句、山本周五郎の「柳橋慕情」 に至るまで、もう 美しさの極みと思われるものがあまた語り継がれているのです。
それに比べて個人的に 実は地名もあまり受け入れ易いとは言い難い当地船橋では、悲しいかな東京に比べて人の数が少なかったためなのか、人の心を真に震わせるドラマに恵まれていなかったようなのです。
あるいは忘れ去られてしまったのかもしれません。
おそらくそうでしょう。
人のいるところ、物語の生まれぬところはありません。
たとえ惜しみなく太陽の光が降り注ぐ明るいこの地といえども、その小さな木陰や、月も照らさぬ夜の浜には、聞けば 涙を誘わずにはおられない美しい物語が隠されているはずなのです。
しかし現実に橋の袂で私たちが目にすることができるのは、ほぼよそ者の影しかない雑多なモニュメントの数々。
私はこれを目の当たりにして大日川(のち以下略)を語らなければなりません。
正直に言いましょう。
思考が乱れるのです。
私は何も 泉重千代をはじめとした橋にその名を刻む有名人の方々を軽視侮蔑するつもりはありません。
ただ。
ただです。
その方々は本当に大日川というこの川の真の名、そして意味を知っていたのでしょうか。そこに愛情の一かけらでもあったでしょうか。この川の美しさに実の涙を落としたことがあったでしょうか。
大日川の支流には夏になれば小さく白い梅花藻の花がたくさん浮かび咲きます。清流でなければ 咲かないと言われる花です。コンクリートで覆われ、生活排水にさらされ、心ない人のゴミ捨て場となりつつも、この清楚な花は懸命に命を紡いでるのです。
そこには借り物ではない真の生命力が素朴な姿とはいえまぶしくきらめいているのです。
大日川流域の皆さん。借り物の精神に甘んじたままでいいものでしょうか。
私は正直なところもうあのモニュメントの数々を目にしたくはありません。そこに意味があるとは到底思えないからです。
私が親しみたいのは、生い茂る葦の影から優雅に飛び立つ白鷺の姿であり、絢爛たる声で川面を鳴き渡るカワセミの小柄できらびやか輝きであり、それを慈しみながら日々の生活に真摯でいる名も無き人々のゆっくりとした足取りなのです。
寡黙な大日川よ。苦々しく感じているのはおそらくあなたも同じでしょう。
生活に、人生に、浮き足だった飾りは、本来はいらないと思うのです。私たちは事実借り物の生を生きているわけではないのですから。
あー以上のような文章ができました 。刺激が大きいとすぐ これです。もういい加減に家事でも何でも部屋片付けなければ。当分ぼうっとしたいです。
でもあと1つだけつけ加えるとすれば、大日川のモニュメントの内、私の心の琴線に触れ得るものは、 小学校前にある「人道橋」というただならない 名前の標識ただ一つだけでした。。。いやもうこれで今日は終わりにします。どうもどうも。。。