さて恥というものはあえてかく必要がないものかもしれませんが、1人でいると恥はかかないものだし、となると ナマケモノの私は相変わらず「人間として これでいいのか」という状態を続けていってしまうような気がします。一人だと安穏として問題に目を瞑り、自己改造しないんですね。でももう本当にまずいんです。このまま人生が終わってしまうのはちょっと まずすぎます。もう顔向けできる存在がほとんどいないんです。
でこの場を借りて大恥をかこうと思います。
前作に続き性懲りもなく広げている フレデリック・ルノワールの2冊目の本『哲学のやさしく正しい使い方』が、なかなか自主的 人格矯正のための特効薬となりそうな気配がします。
なぜなら1ページ目から 悶絶するからです。文字通り自分の有様の恥ずかしさに身悶えして苦しむのです。
「あなたは自分の人生を本当の意味で成功させたいですか?」
はて。一体私がこの人生において幸福で良き人生を一度たりとも目指そうとしたことがあったでしょうか。気がつけば ぼーっとするか うっとりすることしか頭の中にありません。
依存の塊で人並みに自分の家族を持とうとすら真剣に考えたことがありません。現実感がなかったし。
人生の意味?今でも本当に頭がぼうっとしてきます。で、
あんちょこを見ます。
「やさしく賢明に生きる術を学ぶこと」が最も大切だと言われていると書いてあります。善い人生。人間性豊かに、心底幸福で、できるだけ他人の役に立つこと。対人関係を損なう困難に打ち勝つこと。。。。なるほど。 整理するとそういうことだったのか。
こんな基礎的なことであんちょこを見るとは!と憤慨 なさる方もいらっしゃると思います。が、何しろ 私 医者のお墨付きの思考障害の持ち主ですので少々勘弁してください。カルテにそう書かれているんです。
それにこれらのことは 長年 人々が思考の限りを尽くして考えあげたことだと書いてあります。頭の働かない 私がこの境地に至ることは来世のそのまた来世にもおぼつかないと思われるのです。
うちは情操教育が欠落してましたし。家系的に思考がちょっと歪むんです。
それにしても どんな人にもあらゆる人間性の可能性があると書いてあります。しかも人間は十分 自分が自覚した上で自分が求める道に入っていくと考える人もいるらしいです。
それはどうかというのが この著者の意見ですが、もちろん人間性における自己責任って結構な割合であるような感じがします。
ってことは。私のこの状態にももちろん自分の責任が。。ありますよ。 認めます。うーん。認めざるを得ないでしょうね。
自分では 何だかよくわからないうちに こうなっちゃったのですが。思えば何というか 自覚が足りなかったんですよ。 人間としての。
仕事や勉強で言えば若いうちによく探して訓練すれば 続くようなこともあったのかもしれませんが、どうも何でもできるという人間じゃなかったです。
仕事する上で 社会性や責任感が育つことも周りを見ていればあるような感じがします。
仕事にありつかないと 責任の持ちようがひどく難しいんですよ。
どうしても一人前になるのが難しい。
仕事がなくてもちゃんとやってる人も たくさんいるでしょうけどね。
まあとにかく 仕事に関わらず人間的にもどんな人になろうか。なりたいかというビジョンが全く欠けてました。夢がなかったと言うか。
さて 今日の恥はこれぐらいにしてまたそのうち やります。
それにしても考える事って 習慣にするの難しいですね。すぐぼーっとしちゃう。私は書かなきゃダメみたいです。書いても この程度しか持ちませんが。
これ公開する勇気。。。しなきゃな。自己改造だもん。